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ヒト語学

【創立30周年】ヒューマンアカデミー日本語学校 東京校 ~ゼロから立ち上げた軌跡とは~

 2021年4月で創立30周年を迎えるヒューマンアカデミー日本語学校 東京校。1991年の立ち上げに際し、日本語学校としての申請からシラバスを決め、第一期の教務主任を務めた泉 史生先生に当時の貴重なお話を伺いました。

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▲ヒューマンアカデミー日本語学校東京校の始まりでもある教育センタービル前にて

台湾から始まった日本語教育への関わり

 私が日本語教育に関わったのは、1983年からです。今日まで数えるとかれこれ40年弱になります。当時は「日本語を教える仕事に就きます」って言うと、「大丈夫か?」って言われるような時代でした。同年8月に、21世紀の初頭までに留学生受け入れ数を10万人にするという『留学生10万人計画』が発表され、そこで初めて日本語教育が公に日の目を見るように変わってきました。ただ当時の私は、日本を脱出したいという想いが強く、偶然見つけた海外での日本語教師の募集に応募して、台湾に赴任しました。
 台湾では、初めて日本語を教えるという面白さもありましたし、嫌なこともありました。実は赴任3か月頃に、辞めて日本に帰国しようと思ったことがありました。教え方がとにかく分からない。当時は日本語教育のための文献も少なかったので、限界を感じながらも頼りになる参考書などを見つけて、それを実践することで学生の反応もよくなってきて。そうやって教えながら教授法を身につけていきました。

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    ▲1983年 台湾での授業風景

立ち上げメンバーとして採用

 1985年に「日本語教員養成のための標準的な教育内容」が国から示され、420時間の日本語教師養成講座が生まれました。また、85年から90年ぐらいまでに日本語学校が一気に増えました。日本に戻ってきて別の日本語学校に勤めていた私と、ヒューマンアカデミーとの出会いは、1991年の日本語教師募集の新聞広告でした。実は開校当初の東京校は建設途中から見ていて気になっていたんです。ひょっとしたら日本語学校かもしれないなと思っていました。それで、新聞の募集をよく見たら、住所が同じだったので、応募してみよう!となりました。応募から採用まで1週間ほどでした。(笑)
 最初はスタッフ2名で「ヒューマンランゲージスクール設立事業部」が始まりました。日本語学校と養成講座の立ち上げを担当するということで、「ここなら自分の理想の学校が作れるかな」という想いでスタートしました。当時はアルバイト目的で日本に来る外国人を受け入れる日本語学校が多かったので、ヒューマンアカデミーでは進学を目的とした留学生向けの日本語学校を作ろうと。それから、日本語を教えることができる教師を増やすために日本語教師養成講座もつくることでした。高田馬場には、多くの日本語学校があったので、そういうところに負けないようなものにしたいという想いはありました。ただ本当にゼロからだったので、ちょっと怖かったって感じは正直ありました。
 ヒューマンアカデミーの採用時に言われたのは、養成講座については「実践もできる、理論もできる、それから日本語教育能力試験も受かるカリキュラムを組んでほしい」と。そんなに全部詰め込むのはかなり難しいとは思いましたが、できなければ採用されないかもと思い「じゃあやります!」と(笑)。

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▲貴重な開校当時の時間割や学則、年間の学事予定表など

ヒューマンアカデミー日本語学校の礎をつくる

 会社からは、とにかく日本語教師養成講座は4月開講、日本語学校は10月開校を目指してほしいと言われてました。日本語教師養成講座も日本語学校も、校舎や設備等のハード面においては問題なさそうだと思いました。あとはコースやカリキュラム内容、教職員の採用や配置などのソフト面をどういうふうにするかを考えました。日本語教師養成講座で言うと、当時、他の日本語学校では、自分の学校で教えることができる教員(つまりその学校で行っている指導法ができる人)を養成するというスタンスが主流でした。「実践も、理論も、試験対策もやる」という学校はなかったので、確かにここまでやれば"売り"になると考えました。
 特に先生・講師の採用は苦労しました。新しく立ち上げる学校なので、結局のところ学生が集まらないと授業ができません。つまり絶対お仕事を頼むという保証がありませんでした。学校が設立されても、学生が集まらずクラスがない場合はお仕事していただくことができませんっていう前提で、頭下げてお願いするっていうことが多かったです。

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ヒューマンアカデミー日本語学校東京校誕生

 1991年3月末に申請し、5月頃に、日本語教育振興協会から日本語学校開校認定の内示があって、とても嬉しかった記憶があります。そうして1991年10月7日に入学式を迎え、無事にヒューマンアカデミー日本語学校東京校(当時はヒューマン外語学院日本語科)をスタートすることができました。第1期の学生は20名ほどでした。その後、ヒューマンから離れ、様々に回り道をして、台湾から戻ってきて、これだけの大規模校になっていたことに感無量でした。

日本語を学ぶ留学生、日本語教師養成講座修了生へのメッセージ

ーこれから日本語を学ぶ留学生の方へ
 日本語を学ぶことで、日本とだけではなく海外でも日本人とコミュニケーションが円滑に図れるようにしていただければと思います。日本語を学ぶことにより、日本がどんな国なのかも知っていただければと思います。いろんな可能性が拡がると思います。ぜひ勉強に尽力してもらえたらと思います。

ー養成講座の修了生の方へ
 授業をどのように構成でするのかを、考えて臨んでほしいと思います。アクティブラーニングであれ文法積み上げであれ、授業時間をどう構成するか、そのことを常に頭に入れて授業に取り組んでほしいと思います。まだお仕事に就いていない方は、とにかく履歴書をたくさん書いて出すことをお勧めします。そして採用してくれるところがあれば、とにかくがんばって実績をつくってほしいと思います。

インタビュー.jpg<略歴>
泉 史生 先生
青森県に生まれる。国学院大学大学院文学研究科高度国語・日本語教育コース博士課程後期修了。博士(文学)。専門は、日本語教育学(日本語教育史-戦前台湾公学校史・授業・教案関係)日本台湾交流協会日本語専門家、台湾の文藻外語大学兼任助理教授を経て、現在はフリーの日本語教師養成講座講師、ヒューマンアカデミー他で、日本語教師養成講座を受け持つ。

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▲30周年のロゴは、日本古来の「手毬」をイメージするともに多様な人種が行き交うさまを多彩な色でイメージされています。また30thの文字は信頼、誠実、知性などのイメージである青色で表現。

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