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「目標に向かって努力する日々は、大変だけど幸せだった」 自動車部品工場勤務からアプリ開発エンジニアへ。修了生 中島さんへインタビュー!

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今回お話をうかがったのは、地元である新潟の自動車工場勤務から一念発起、プログラミングを学んで上京し、見事エンジニアへの転職を成功させた中島 正基さん。学び始めてからエンジニアとして働き始めるまでのお話を伺いました。

プログラミングを学ぼうと思ったきっかけを教えてください。

もともとは地元の観光専門学校を卒業し、1年ほど旅行会社に勤めていました。
その後自動車部品工場へ派遣社員として転職したのですが、「このままこの仕事を続けていていいのだろうか」という強い不安を感じるようになり、もっと将来性のある仕事を目指すことを決意しました。今最も将来性のある業界といえばIT業界。まずは情報収集の一環として、複数の地元のプログラミングスクールの資料を取り寄せることにしました。

ヒューマンアカデミー新潟校で1年かけて「JAVAプログラミング講座」と「IoTエンジニア総合講座」を受講したあとは、上京して就職活動を行い、自社開発を行うシステム開発会社でアプリ開発エンジニアとして採用されました。今はKotlin(※)という言語を使って、医療系の教育・研修アプリ開発に携わっています。

※汎用言語であるJavaをベースに開発されたプログラミング言語。アプリ開発の現場で広く使用されている。

ヒューマンを選んだ理由は何ですか?

他のスクールとの一番の違いは就職サポートでした。とにかくちゃんとエンジニアとして就職できるかどうかが不安だったので、就職専門のチームとキャリアカウンセラーがいて、手厚いサポートが受けられるヒューマンに決めました。
実際、履歴書の添削をはじめ色々なサポートを受けたのですが、振り返ってみて一番役に立ったと感じるのは、就職活動の際に企業へ持ち込む制作実績へのアドバイスです。「作ったアプリだけだとうまく自分のスキルが伝わらないから、企画がわかるものをしっかり作って見せた方がいいよ」と言われて作った企画書が高く評価されて、今の会社に採用される決め手になりました。

校舎やスタッフについての印象を教えてください。

働きながら受講していたので、基本的には土日に校舎に通って勉強していました。ただ、それだけだと知識が定着しづらいので、平日もオンラインで予習復習をしていました。
校舎スタッフの方にこまめに学習進捗をチェックしてもらったり、就職活動の進め方について親身に相談に乗ってもらえたのがありがたかったです。
また、受講生仲間がいたのも大きかったですね。同年代の方もいれば10歳以上年上の方もいて、同じ目標を持つ者同士でコミュニケーションが取れたことがモチベーションの維持につながりました。もともと怠け癖があることもあって、自分一人だけでは学習を続けることが難しかったのではないかと思います。世の中には無料のプログラミング学習サービスもありますが、自分にとってお金をかける価値は「続けられる環境」にあったと思います。

勉強を始めてから、自分に変化を感じたことはありますか?

当然のことですが、例えばアプリを作っていてエラーが起こった時、その原因が何かを突き止めなければそこから先に進むことはできません。
プログラミング学習の過程で「問題に向き合い、原因を探り突き止める」ことを繰り返したことで、普段の生活にもそうした習慣が生まれたように思います。また、これまで自分にとって「勉強=インプットすること」だったので、学校で勉強して得た知識は自分の中にしまったままでした。

アプリを作るなど、学んだことを活かしてアウトプットできるようになったのはプログラミングを学び始めてからです。学んだことが形になるのが新鮮で楽しく、それが学び続けるモチベーションにもつながりました。これから学び始める人にも、その楽しさを是非知ってほしいですね。スキルを身につける上でも「こんなものをつくってみたい」という目標を持つことが大切だと感じますし、そうやって作ったものが企業に評価されたからエンジニアになれたのだと思います。

最後に、これからエンジニアを目指す方へメッセージをお願いします。

エンジニアとして働く今も、日々勉強を続ける必要がありますし、ヒューマンアカデミーで学んでいる間も決して楽ではありませんでした。
でも、目標に向かって行動する、努力できる毎日はとても充実していましたし、そうした日常に幸せを感じていました。目標さえはっきりしていれば、ヒューマンアカデミーの環境ならきっと最後までやりとおせるはずです。恐れずチャレンジしてほしいですね。

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